差別とか区別とか

今話題の性について。

 

個人的な考えなので、考えが合わない人もいるだろうし、不快な人は読まないでください。

 

差別はよくないし、

性自認によって困っている人は苦しまないでよい時代の流れがきているように思います。

 

しかし現実問題として、トイレや風呂の問題、またどさくさに紛れて犯罪が横行する可能性も増えるので、法整備は慎重にしてほしいと思う派です。

 

そもそも、LGBTQを「認める」考えもあれば、「認めない」考えもあっていいということを認めてほしいと思う。ということを今日は同僚と語り合った。

年代や環境によって、受け入れられない人も当然いる。受け入れるのが難しい人まで、受け入れないことを差別的だと思われるのは、逆に同調圧力を感じてしまうと最近よく思う。

 

「差別」は何でも悪いのか?

差別やいじめ等、人を傷つけるのはダメだけど、区別や分別は、世の中に必要なことなのではないかな。と個人的には思います。

 

例えば男性が女性の格好をしたい、またその逆、それはいいと思うし自由だけど、異性の格好をするにしたって、年齢やTPOに合わせた身なりがある。そう、TPO。

歳とった人が職場でミニスカートを履いていれば後ろ指さされる。異性の服を着るのも、年相応とか似合う似合わないは大事で、なんでも自由にすれば「認められる」ってのはなぁ、、と考えたりもする。(個人的にね)

 

 

人によって「中庸」は異なる。

100%正しいなんて無理だよね。

 

昔から

なんでも逆らいたいこじらせ人間なので、

自由な発想や考えは大好きだけど

同調圧力的な時代の流れは苦手。

でもどうなんだろう?ってあーだこーだ考えて、人と意見し合ってみるのはいいことかな、と思う。

 

私は若い頃から「無駄なことはキライ」を全面に出しまくっていたので(実際ナマイキでやる気もなかったし仕事のモチベーションなんてなくて疲れ切っていたので)、無駄な研修、無駄な風習は大嫌いだった。何でこんな研修に出なきゃいけないの?意味あるの?無駄多くない?と。

それを表に出すのは「変な子」扱いされて、後ろ指さされ続けた。(一部の人はかわいがって認めてくれていたけれど)

今、時代は「働き方改革」「業務改善」が叫ばれるようになった。「こんなことやめましょうよ」と声にすることが、むしろ好まれるようになってきた。声に出せない多くの人から「言ってくれてありがとう」的なことも言われるようになってきた。

 

何が言いたいかというと

自分の考えはちゃんと持った方がいい

時にはそれを発言していく力も必要。

(自信を持って発言できるように、自分よりベテランさんと話をして学ばせてもらうのは好き)

 

右へならえ

ではなく

みんなが右でも左かもしれない

必要があれば右でも左でも動けるのがいい

 

そんな感じでいたい。

 

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2つ目が開花してきた。

日によって、風に負けてクテっとしていたり、シャキッとしていたりする。入り口付近にあるので、朝、顔色?を見ている。

花言葉暗いけれど笑

キンセンカ、元気なオレンジ色でいい。